【書評3】
郡順史『全国「一の宮」調元祖 信念の神道家 橘三喜』
B5判、248頁、定価 2,500円(税込、送料別)
一の宮巡拝会、2011年発行
▲『全国「一の宮」調元祖 信念の神
道家 橘三喜』
地理書とはいささかおもむきが異なるが、紀行文でもあり、一般書店では販売されていない書物であるので、ここで紹介する。
橘三喜(タチバナミツヨシ、1635-1703)は、肥前平戸藩に仕えた神道家であり、「橘神道」を創設した。全国68ヶ国の一の宮を足掛け23年間(1675-1697)かけて巡拝し、その紀行文として『一の宮順詣記』(全13巻)を著した。ただし原本は失われ、今日では『一の宮順詣記 抜粋』(全2巻)が伝わるのみである。
本書は、著者郡順史氏により、橘三喜の生い立ちから一の宮順詣出立にいたるまでの経緯を小説とし、『一の宮順詣記 抜粋』の全文にコメントを付加して著したものである。
第1章 小説 信念の神道家 橘三喜 (伝) 128ページ
第2章 詠易訳 一の宮順詣記 抜粋 原文 上・下巻 (寸釈余語付) 86ページ
第3章 資料編 一の宮順詣記 抜粋 上・下巻 原文 (国会図書館蔵) 25ページ
と、小説部分と順詣記部分とはほぼ半々の分量となっている。
小説部分においても壱岐一の宮[天手長男神社]の再建個所は壱岐島の地勢・風土にも言及され、それなりに地理的であるが、地理愛好者には詠易訳部分がメインとなる。以下は詠易訳部分の紹介である。
1675年7月27日生国肥前一の宮[与止日女神社]を発願に、北は陸奥[塩釜神社]から南は薩摩[和多都美神社(:現、開聞神社)]まで、一の宮のみならず各地の神社寺院にも参詣しており、全国の地名がでてくる。現在の地名とすぐ対比できるところ、容易には対比ができないところといろいろである。巡検でおとずれた神社名も散見される。
当時の自然まかせの旅の様子が随所にみられる。佐渡から本土にもどるのに昨日浦というところで20日あまりも船待ちし「舟待はきのふの浦と思ひしに送る日数や廿日なるらん」と戯れ歌をよんで気をまぎらわしており、風向き次第の航海である。「木立深き山中を行けば、蛇ぶとはらひもあへず・・・」と心細い表現もある。
17世紀当時は、一の宮の所在が不明のところも多く、橘三喜はその所在の考証もしつつ巡らねばならなかった。「只一宮と計り云て巨細しれず。」である。神社の古文書をみたり古老の話をきいて一の宮を認定している。ところが現在の学説では、橘三喜の考証が誤りであると批判される個処もある。しかしそのような詮索はその道の専門家にまかせることとし、紀行文としての一の宮順詣記の価値をそこなうものではない。
藩に仕えるという上流社会の人士である橘三喜は、商業ホテルではなく神社の宮司宅などに伝手をもとめて宿泊している。宿泊代などはどうしたのだろう? と評者のごとき下司にとっては気になるところであるが、一方こうした便宜が各地で得られるところに橘三喜の実力をみることができる。
一の宮順詣記の特色に、各神社のスケッチが豊富に描かれていることがある。当時の神社付近の様子がよくわかる資料である。橘三喜自身の筆によるものか従者の手になるのかは不明。実は、橘三喜はひとり旅だったのか、従者がいたのかが分からないのである。
1697年9月12日伊豆一の宮[三嶋大社]で結願。「今六十八州仕廻、・・・天下第一の山神の御社にて成就する事、感心不斜有がたく覚ゆ、・・・」。
本書は市販されていないので、入手は下記に申し込む。
【一の宮巡拝会 東京事務局】
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(栗田好明)