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【書評1】


紀南地名と風土研究会編『紀南の地名(二)』

A5判、108頁、本体1,429円(税別)

紀南地名と風土研究会、2008年発行

ISBN978-4-907841-07-2


紀南の地名(二)
▲『紀南の地名(二)』

 本会会員の桑原康宏氏が執筆者のおひとりである本書は、同名の前書につづくもので、書名になる紀南地方の地元紙・「紀伊民報」に連載された記事を集成したものである。執筆は、桑原氏を含む紀南地名と風土研究会のメンバー9名による。「もくじ」につづき、「掲載した地名の位置」が地図に示されているが、桑原氏が「あとがき」で述べるように、執筆者が自由に興味ある地名を選んだことで、やはり一貫性や地域的バランスに欠ける点は否めない。しかし、これらを重視すると、地名の「なんでも屋」的様相を呈し、網羅的な作業と膨大な労力を必要とするうえ、画一的な観点となってしまいがちで、地名のおもしろさが強調できなくなる危険性もあるように思われる。この矛盾を解決することは容易でないと思われるが、ともかく、まずは個々の地名について語ってくれることが重要ではあるまいか。とくに、地理学やその隣接分野に関する出版物が量的に乏しい和歌山県では、貴重な1冊である。また、地名は単なる漢字や文字の組み合わせではなく、その深層にはかぎりない物語があるはずである。上述の地図は、紀伊半島という山がちな地域にあって人間活動の活発なエリア、すなわち集落の立地する地点での地名が多くとりあげられていることから、地名に人間のドラマを読むとみるとき、上述の矛盾点は薄れゆくようにも感じる。

 本書の構成は第1の「広域地名と比定できない地名」として南紀や口熊野などを扱い、第2以降は「田辺市の地名」、「中辺路に沿って(2)」、「大辺路に沿って(2)」、「新宮・熊野川周辺」、「みなべ・龍神方面」の各地域に区分し、地名解説が展開される。「(1)」がなくて、「(2)」だけが存在する2つの章は、おそらく前書との関連性を示すものと思われる。以下、和歌山県出身の評者が印象に残ったところを感想風にとらえてみたいと思う。

 第1の「広域地名と比定できない地名」では3つの地名が採録され、そのトップに「南紀」がくる。これまで「南紀」という地名について、旅行会社のパンフレットには大きな「南紀」の文字がおどり、名古屋駅や羽田空港でも「特急南紀」や「南紀白浜」と毎日表示されているため、和歌山県外でもよく目にすることのできる観光と密接な関係をもった地名であり、おそらく多くのひとが認識している地名のひとつであると感じていた。しかし、本書をよむと、「南海道紀伊」の短縮が「南紀」であり、行政地名であることを教えてくれる。評者は小学校のころ、「南紀」に対する「北紀」という表現がない(企業名でみられることはある)ことをふしぎに思ったものであるが、上述の解説からありえない地名であることが明らかとなる。それでもなお、小学生を迷わせる原因となったのが「中紀」という和歌山県中部をさす地名の存在である。この答えも本書にあり、「南紀」の範囲は紀伊国全体をさす場合のほか、和歌山県南部の「紀南」と同じ範囲に使われる場合が多いというのである。県内ではおなじみの「紀北」・「紀中」・「紀南」という和歌山県を3分割する地名であるが、上述の「中紀」は「紀中」を耳触りのよいようにしたもので、狭い範囲を示す「南紀」も同様であると説く。わずか2ページ分の「南紀」解説であるが、得られる情報は限りない。

 第2以降の5つの章では、47の地名がとりあげられた。旅行ガイドブックなどでよく知られた勝浦、湯峰、川湯、椿の温泉地や、景勝地・橋杭岩、ナショナルトラスト運動の天神崎、飛び地の村・北山、熊野信仰ゆかりの神倉神社や発心門、紀州航路ゆかりの三輪崎、袋港(串本)、南部など、興味深い地名がならぶ。これらからは新しい知見を学ぶことができるが、とりわけ、地元で使われている呼称がところどころに織り込まれる点が意義深い。全国を網羅する『日本歴史地名大系』(平凡社)や『角川日本地名大辞典』(角川書店)にはみられない味わいではあるまいか。

 ところで、市販されている一般的な地図や地形図などには登場しないごく一部の局地的な地域で口承・認識されているような地名は、世代がかわるにつれて消滅する可能性が大きく、その前に記録の必要がある。本書に採録される地名にも、この種のものが含まれているように思えるが、紀南地方には林業従事者が山間部で用いた地名、例えば、宇江敏勝『山びとの記 ―木の国果無山脈―』(中央公論社)に登場するような地名群や、一般的な農村における集落、農地、入会地、里山などに名づけられた在所の地名が非常に多く存在し、その多くが口承されている。しかし、こういった第1次産業に従事する人々の減少や高齢化、そして世襲が危ぶまれているなか、これらの地名も忘れられてゆく運命にある。また、都市化の影響もみのがせない。本来の本書の企画・目的からすれば、逸脱した見解であるということを十分に承知のうえで、紀南という地域がら、紀南地名と風土研究会にはこういった方面の地名開拓にも期待を寄せたい。

(角 克明 近畿大学非常勤講師)