【リレーエッセイ8】
FHG入会のことなど
野村治善(東山高校「地理」非常勤講師)
年が明けて1月早々に、野間晴雄会長からFHGにエッセイを書いてほしい旨の依頼を受けました。私は「女子校」での44年間の教職生活を経て、2009年4月からは「男子校」に奉職、現在も高校2・3年の「地理」を教えております。1月中旬にはセンター試験が始まり、また中学入試の実施もあり、帰宅が遅くなる日がふえました。そのため自分の時間が取れなくて、心苦しいことですがこんな雑文で何とか責めを果たそうとしています。
藤岡謙二郎先生の設立になるFHGに入会したのは、確か大学を出て直ぐの頃だったと思います。先生からは一般教養の「地理学」や「人類学」を教えて頂きましたが、講義を拝聴して「こんなに楽しい『地理』の先生に出会った事がない!」という感銘を受け、ぜひ藤岡先生の巡検に行きたいという思いが自然に湧き起こりました。いま手元にある赤い表紙の手帳型の『友の居処』というFHGの住所録を眺めるうちに、40数年前のその感動が蘇り、「地理学」を志していた時の心境に戻れたような気がします。
その当時、私は大阪聖母中・高に勤め始め、教育現場が新米教師にとって、これほど忙しい所とはつゆ知らず、日曜日の巡検には行けると思っていました。しかし、中高教師は日々教材研究に追われ、校務分掌・担任・クラブの指導や引率など、年々仕事が増えて、日曜日にFHGの巡検に行ける事は、残念ながら1回も無く、大学を卒業してから藤岡先生に一度もお目にかかることはありませんでした。
40歳を過ぎた頃、京都聖母中・高に転勤しましたが、同じ様な雑用に追われ、これまた参加できず、FHGの巡検に参加出来るようになったのは、管理職になって、クラブの引率が無くなってからでした。
したがって、藤岡先生が御存命中の巡検には参加できず、私が参加出来るようになったのは、大学の先輩の樋口節夫先生が会長となられた、ニューFHGからです。その時すでに私は50代を迎えていました。それ以後の会長職は、故郷の先輩である小林健太郎先生、山田誠先生がその任に当たられ、現在の野間晴雄会長は私にとって4代目の会長となります。
私は、福井県立若狭高校から、「人文地理」の勉強がしたい一心で、また「地理の教師」になりたくて、昭和36年4月に立命館大学文学部地理学科に入学し、昭和40年3月に卒業。福井県立高校へは6月採用という事でUターン出来ず、谷岡武雄教授のご紹介で、府立桃山高校と大阪聖母の講師が教師の出発点でした。府立桃山高の全日制では若狭高の先輩(小西純一先生・旧金沢高師卒)や立命館の片桐章次先輩(谷岡武雄先生の大学同級生)が地理の同僚となり、定時制では大学の先輩桑原公徳先生が専任、足利健亮先生が講師、新米の私も講師、のちになんと凄い方と同じ学年で高校1年の地理を教えていたものと思うと、鳥肌が立ちました。
立命館大学での地理は、江原眞悟教授(地学)、谷岡武雄教授(研究入門・歴史地理学・ゼミ)、山口平四郎教授(人文地理学概論Ⅰ-経済地理・ゼミ)、小林博教授(人文地理学概論‐都市地理学・ゼミ)、佐々木高明助教授(アメリカ地誌・地理実習)、日下雅義助手(地理実習)の時代でした。京都大学から出講されていた地理の先生方には、織田武雄先生の「西アジア」地誌、藤岡謙二郎先生の「地理学」・「人類学」、水津一朗先生の「人文地理学特論」で社会地理学、西村睦男先生の「日本地誌」では商圏、を教えて頂き、沢山の楽しい「地理学」を学びました。だからこそ、FHGに初めから入会したのだと思います。
私のような中高現場の地理教師にとっては、春・秋の巡検に参加させて頂いて、バスの中や巡検地での大学の先生方からの説明は「生きた教材」です。大学を出て学校の中だけしか知らない「井の中の蛙」のまま現場で「地理」を教えていた私は、この巡検で「地理の見方・考え方」を学び、新鮮な気持ちで、毎日教壇に立っています。
▲旧筑豊炭田・三井職員住宅跡を歩く(福岡県田川市)
野間晴雄会長になられてからの特別巡検で、高知巡検や北九州巡検に参加させて頂きました。特に北九州巡検では、はじめての平尾台のカルスト地形、旧筑豊炭田地帯は印象に残りました。秋吉台のカルスト地形は、京都聖母の時代に修学旅行の引率で10年近く毎年、萩・秋吉台を回り、地形図の作業を生徒にさせた事も有ります。旧筑豊炭田地帯については、昭和30年代の初めに中学時代を過ごした者にとっては、北海道と北九州の炭田の名前を特に良く覚えさせられたので、楽しみに出かけました。今は、往時の姿は有りませんでしたが、初めて見る旧炭鉱地帯の姿は、「地域の変貌」そのものでした。
教師になってから今日まで、毎年授業をゼロにした事がないことが誇りですが、FHGの巡検のお陰で、さらに新鮮で楽しい「地理」の授業が出来る事を喜びとして、少しでも長く「地理」の教師であり続けたいと思っています。
(2011年1月20日記)