【リレーエッセイ3】
江戸の香りのする場所-東京の富士塚-
川合泰代(明治学院大学非常勤講師)
▲下谷小野照崎神社の富士塚(山開きの日)
2005年筆者撮影
東京は日本の首都であり、世界の中でも主要都市である。高層ビルが立ち並び、日本中の人々が夢を抱いて集まり、世界と闘う場所である。流行の最先端の場所である。
そんな東京でも、意外と昔ながらの庶民風の人々が住んでいることに気づくことがある。その人たちは、かつて東京が江戸と呼ばれた時代から存在する町に住み、江戸時代から続く神社を地域の核として守り続け、地域コミュニテイを大切にし、派手なお祭りを誇りとする人々である。ここは、あの東京か?と錯覚するほど、田舎の懐かしい雰囲気が漂っている。その人たちに問えば、こういうだろう。多少の変化はあるものの、昔からずっと似たような暮らしをしてきた。それなのに、後からこの町に来た人々が、ビルをたて、異なる価値観をもちこみ、自分達とは異なる世界を築いていったのだと。そして、自分たちの町を、全く違う景色にしてしまったのだと。しかし、心までは犯されていないと。
2006年6月のニューFHGの巡検は、東京巡検だった。私は、かつて東京にある富士塚を調査した関係で、品川神社の境内にある富士塚を案内させていただいた。富士塚とは、江戸時代から戦前にかけて、富士講の人々が富士山に登ることと同じ体験ができる装置として、自分が住む場所に富士山をまねて作ったものである。数メートルから10メートルほどの大きな土山をつくり、その周りを本物の富士山から運んできた溶岩で覆い、富士講の文化に基づく礼拝場所を設置したものである。東京には、現在でも数十にのぼる富士塚やその名残が見受けられる。
巡検の日は偶然、品川神社の例大祭であった。巡検は関西から来られた方々が多く、崖を利用した高さ10メートルほどの大きな富士塚と、その日、旧品川宿で行われていた活気あるお祭りに驚かれた方が多かったようだった。こんな風景が東京にあったのか、そんな驚きのようだった。
▲山開きの日に、品川神社の富士塚に登拝する
富士講員の人々、2006年筆者撮影
その後、私は7月1日の品川の富士塚の山開きというお祭りを見に行った。そこでは富士山に登るときに着る白装束を着て、一心に経文を唱える数人のおじいさん方がおられた。そしてその周りで、参詣者に食事等を配る数人の女性おられ、その周りを子ども達が遊んでいた。私もお昼をご馳走になった。優しい風景だった。
富士塚のあるところには、江戸の香りがする懐かしい風景がある。そのことを、調査中感じていたが、今回の品川の例大祭や山開きであらためて感じた。
参考文献:
川合泰代(2003)「聖地『富士山』の風景―江戸・東京の富士講からのまなざし-」、地理48-11、20-28頁