【リレーエッセイ10】
古代の“夜”が想像される備中国分寺周辺
荒木俊之(株式会社ウエスコ)
▲備中国分寺とその周辺
私が岡山に居住して16年が過ぎました。その間、ニューFHGでは、第22回と第37回の2回、岡山県北中部を中心に国内巡検が行われました。どちらの回も高速道路を利用して移動したため、県南部の景観・風景をほとんど見ることができませんでした。しかし県南部には、古代吉備政権に代表されるように歴史遺産が多く、なかでも総社市東部の備中国分寺周辺は、遺産が集積する歴史空間が形成されています。今回は、県南部の歴史スポットの一つである備中国分寺周辺をご紹介します。
その備中国分寺ですが、現在は真言宗の日照山国分寺と称され、県内唯一の五重塔(国重要文化財〔建造物〕)が建つ、吉備路の代表的な風景として岡山県のホームページ(トップページ)に掲載されています(2011年3月現在)。また、4月下旬~5月上旬のれんげ、10月下旬~11月中旬のコスモスなど風景写真の撮影スポットとしても親しまれています。この冬(2010~11年)は、五重塔のライトアップも実施されました。
歴史的には、741(天平13)年、聖武天皇の詔で全国に建立された国分僧寺の1つと伝えられています。その当時の建物は南北朝時代に焼失し、五重塔は1820(文政3)年に再建されたといわれています。現在の国分寺の境内は、備中国分寺跡(国史跡)であり、その周辺には、備中国分尼寺跡(国史跡)や伝備中国府跡(市史跡)があります。また、古代吉備政権の大首長の墓といわれ、全国第4位の規模を誇る前方後円墳の造山古墳(国史跡)や全国第9位の作山古墳(国史跡)もあり、古代遺跡が集積する地域です。
その備中国分寺周辺をご紹介する理由は、当時の原風景を感じられ、古代の“夜”を想像できる空間が遺されているからです。「平成の大合併」以前の旧山手村の時代から、五重塔を中心とした田園風景を保存するために、電柱・電線の地中化とともに、建物の新築についても景観に配慮した色調や形態にするように指導されていました。そのため、備中国分寺周辺の国道や県道には電柱が少なく、そこからの眺めは松林を背景にした田園風景に五重塔が浮かぶ、いにしえの姿をとどめています。そして、街灯や民家の明かりもほとんどなく、夜はほぼ真っ暗となり、闇に包まれます。ここでは、我々の生活には欠かせない電気がなかった古代の夜が想像でき、夜の深さも感じることができます。また、当時の人々の生活に思いを馳せながら、時間がとまっているかのような錯覚を感じられます。都市の平野にありながら、周りに明かりがない空間は稀少で、月夜の浮かぶ五重塔を眺めながら、古代の夜を体感できる貴重な歴史空間といえるでしょう。
昼間の風景も良いものですが、夜の“景色”もなかなか良いものです。皆さま一度いかがでしょうか。
▲備中国分寺と県道岡山総社自転車道線
※写真の道は、県道岡山総社自転車道線で、「平成の大合併」以前の総社市と山手村との市町界であった。足利(1978)によると、市町界は、行政界から推定される古代山陽道にあたるとされている。
参考文献等:
足利健亮(1978):「備中国」.藤岡謙二郎編『古代日本の交通路Ⅲ』大明堂.
岡山県の歴史散歩編集委員会(2009):『岡山県の歴史散歩』山川出版社.
岡山県webページ:http://www.pref.okayama.jp/
総社市webページ:http://www.city.soja.okayama.jp/kanko/kanko.jsp