第35回巡検
東京下町の今昔
【日 時】 2006年6月4日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)
【案内者】 青木栄一 浅香勝輔 内田忠賢 川合一郎 川合泰代 作田龍昭 辰己 勝 服部銈二郎 山田 誠
【参加者】 59名
第35回の野外歴史地理巡検は、日帰り巡検としては異例の遠方となる東京を巡検先に選びました。『ニューFHG15年のあゆみ』にも書きましたが、京阪神地区内での巡検先がかなり種切れに近づいていることと、新幹線利用で京阪神からの日帰りが十分可能なことの2点を考慮しての場所選定です。
集合は東京駅八重洲口です。東京駅としては本来は裏口ですが、1950年代に大丸デパートの入った駅ビル(鉄道会館ビル)が完成してからは、むしろこちらの方が丸の内口より賑わっているようにも感じられます。この駅ビルにも再開発の計画があるとか、好悪はともかく東京の活力の現れでしょう。
東京駅前を出て、まず浅草に向かいます。その前にちょっと遠回りになりますが、浅草のやや北にある旧吉原遊郭に近い日本堤を通ります。隅田川の氾濫による水害を防ぐために江戸時代初期に設けられた堤防で、2本の堤からなっていたことから二本堤と称されたのが後に日本堤の表記に変わったといわれています。その昔、吉原に通う遊客が利用したルートです。堤そのものは昭和初期に除却され、今日では名称だけが残っています。
浅草では「観音様」として知られる金龍山浅草寺にまずお参りし、その後、少し付近を散策します。浅草はいうまでもなく、近世・近代に娯楽のメッカとして栄えた地区で、今も随所にその面影がみられます。
▲旧岩崎邸
この近くで昼食・総会の後、上野に向かいます。上野には、江戸城の北方鎮護の寺として江戸時代に重視された寛永寺の所在地、明治維新の際の幕軍と官軍の戦争の場、東京国立博物舘や東京文化会館、さらには東京芸術大学などの存在に象徴される日本の近現代の文化の中心地、東北日本の広い範囲を対象とする東京の玄関口、といった数多くの性格がありますが、今回は、上野地区と西隣りの本郷地区の境界付近、現在の住居表示では台東区池之端1丁目にある旧岩崎邸を見学します。いうまでもなく三菱財閥の頭領であった岩崎家のお屋敷で、1890年代後半の建築です。終戦後の財閥解体時に国有財産となり、一部は払い下げられましたが、残りは司法研修所などとして利用されてきました。数年前に一部が東京都に移管され、「旧岩崎邸庭園」として建造物ともども一般に公開されています。コンドルの設計になる洋館は全容が見られますが、日本式の建物は残念ながら一部しか残っていません。東京にはこの種の近代の大邸宅が意外に多く残されていますが、必ずしもすべてが公開されているわけではなく、その意味でここは貴重な存在といえるでしょう。
▲佃島・住吉神社
旧岩崎邸見学の後は、佃島・月島地区に向かいます。佃島は、江戸時代初期に摂津国西成郡佃村(現在の大阪市西淀川区)の漁民の一部が移住した所といわれ、佃煮を名産として今日に至りました。東京都心からの直線距離が僅かなのにもかかわらず、以前は交通が不便だったため古い町並みがよく保存されてきましたが、1966年に地下鉄東西線が開業し、月島駅が近くに設置されたことから、しだいに変貌を遂げるようになっていきました。それでも古い町並みは幾分かは残っており、周囲に林立する超高層マンションとの対照は、ある意味現代の日本の都市を象徴する景観ともいえるでしょう。ここで下車見学し、若干散策の後、おみやげに佃煮を購入する時間をとりたいと考えていますが、日曜日でも営業しているお店があるかどうか。もしすべて休業でしたらごめんなさい。時間があれば、その近くの月島地区の名物「もんじや焼き」なども賞味したいところですが、こちらは今回はちょっと無理でしょう。
月島地区からは、かつて外国人居留地とされていた明石町(現在は聖路加国際病院や東京新阪急ホテルなどがあります)、築地本願寺(伊東忠太設計のデザインが京都の東西本願寺とはきわめて対照的)、築地の中央卸売市場(これを移転して跡地にオリンピック村を、という計画があるとか)などを見ながら、旧品川宿に向かいます。東海道の最初の宿として知られる品川宿は、現在のJR品川駅からはかなり南にありました。そのため、品川駅から少し南に行った所に「北品川」という地名があり、面食らう人もあるようです。ここでも旧東海道(現在は商店街となっています)を数百メートル歩くことを予定しています。残念ながら江戸時代の面影をとどめる商家は残っていないようですが、品川区教育委員会(?)による掲示板が随所に掲げられており、それらを見ながら弥次さん、喜多さんの気分を味わってください。
ここからは、海底に設けられた東京港トンネルを利用してお台場(臨海副都心地区)に向かいます。この海底トンネルは、今回の巡検ではまさに江戸時代から現代へのタイムトンネルの意味をもつことになるわけで、この地区は現代の東京を象徴する場所の1つといえるでしょう。もともとは幕末に海防を目的として海中の浅瀬に設置された台場の1つ(第三台場)が海中に頭を出していた所ですが、バブル期前後にその隣接地を埋め立てて大規模開発を行うことが企画されました。そこでの開催が予定されていた世界都市博覧会は、鈴木知事から青島知事への交代によって実現しなかったものの、今日では例えばフジテレビの本社ビルなど多くの施設が完成しており、若者のデートスポットとしても賑わっているようです。話の種にぜひ散策してみたいとお考えの向きが多かろうと思い、何とか下車地点に加えたかったのですが、今回貸切バスの契約でお世話になった東京の旅行代理店からは、下車時間はちょっととれないのではとのコメントをいただいています。残念ですが車窓からの見学となりそうです。
レインボーブリッジを通って、出発地点と同じ東京駅八重洲口に、遅くとも午後6時、できれば5時45分ごろには帰着したいと考えています。
今回の巡検は、首都圏ご在住の本会会員の皆様に大変お世話になっています。企画や事務的な交渉等については内田忠賢先生にお世話になりましたし、当日の車中および現地説明では、内田先生や事務局メンバーに加えて青木栄一先生、浅香勝輔先生、川合一郎さん、川合泰代さん、服部銈二郎先生(以上五十音順)にお願いしています。東京の地理や歴史に関する最高権威の先生方、それに中堅若手の会員諸兄姉による貴重なお話が聞けることと存じます。多くの会員の方々にとってはやや遠路となり、往復の交通費もかさみますが、ふるってご参加いただきますよう、お願いするしだいです。
【山田 誠】