第31回巡検
紀伊半島西岸の文化と伝統産業
【日 時】 2004年5月23日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)
【案内者】 塩路 正 清水静志 中野榮治 桑原康宏 水田義一 額田雅裕 西川政利
【参加者】 62名
和歌山県は6月に、高野・熊野が世界遺産に登録されるというので、県内の期待が高まっています。高野山、熊野3山のみでなく参詣路および周辺の山野を含む地域が指定され、広い範囲の地域の景観の利用と維持の仕方に若干のとまどいもみられます。しかし地域を観察し、その風景を楽しむというのは、野外歴史地理学研究会の主旨だろうと思います。
今回は紀伊半島西岸を御坊市から和歌山市(南端)へと回ります.紀伊水道に面して、リアス式の湾入の多い海岸で、それぞれの湾ごとに流域の中心となる町が立地しています.互いに山地に遮られた町は、流域ごとに独特の地域性をもってきました。流域の広い日高川、有田川などの河口には市が、流域の狭い河川の河口には規模の小さな町が立地しています。これらの町を南から北へと通過しますが、今回の見学コースは海岸の風景を楽しむ機会は少ないので、集合前の海南~下津のJR車窓からのマリーナシティー和歌浦風景は見落とさないようにしてください。
▲日高別院
集合地点はJR御坊駅です。御坊平野は、和歌山平野に次ぐ広さをもちます。海岸に砂丘が形成され、内陸のラグーン(潟湖)を日高川が埋積した低湿な平野で、条里地割が北岸に良く残っています。さて御坊駅から日本一短いと言われる紀州鉄道が町に通じていますが、バスで市の由来となった日高別院に行きます。現在の御坊の市街は1595(文禄4)年に真宗御坊を中心として、荒れ地に建設された寺内町で、今も一部に環濠が残り、街路に歪みのある防御都市の名残があります。近世には日高川流域の物資の集散地として栄え、かつての有力商人の屋敷が日高別院の周囲に並んでいます。
なお第1次集合の方は道成寺を見学します。
ついで海岸部の煙樹ヶ浜を見学します。浜堤の松林は防潮林として保護されてきたものですが、砂礫の海岸は珍しいのではないでしょうか。昼食は日高町公民館を利用します。日高平野の北縁にあたりますが、一等三角点の西山、中世の荘園絵図の残る高家荘の故地を見ることができます。
▲深専寺の大地震・津波心得の碑
午後は白馬山脈を越えて湯浅に行きます。湯浅は江戸時代初期に町だてされ、格子状の街路網が見られます。醤油発生の地とされ、江戸時代には92軒の醸造家がありました。漁師のみでなく醸造家も関東にも進出し、ヒゲタ醤油(浜口家)など今もつながりがあります。現在は町内で数軒が醸造しているにすぎませんが、古い屋敷群と町並みは保存の取り組みが始まり、醤油資料館が整備されています。なお1855(安政4)年の大地震の津波の際の「稲村の火」の舞台は広川町ですが、今回は湯浅町内にある津波の碑を見学します。
見学の最後は自動車専用道路にのり、和歌山マリーナシティへ行きます。松下興産が新しい滞在型のリゾートをめざして建設し、和歌山の新名所となりました.地中海の町並みを模したテーマパーク、黒潮市場、レストラン街、ホテル、温泉、ヨットハーバーに分譲マンションまで備えたこの地は意外な利用のされ方をしています。
【水田義一】