第22回巡検
新見庄と備北の歴史的景観を訪ねて
【日 時】 2000年5月21日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)
【案内者】 河合保生 池田 碩 森田 勝 関口靖之 荒木俊之
【参加者】 58名
今回の巡検は、普段訪れる機会の少ない備北地区(備中国のうち新見市・高梁市及びその隣接地域)の歴史的景観を訪ねるコースを組み立ててみました。石積み5段構造の方墳である北房町の大谷(おおや)一号噴からはじめて、中世新見庄と陣屋町、近世から近代に栄華を極めた成羽町吹屋へと至る、時代的にも大変バラエティーにとんだ歴史的景観の見学ができます。全行程は従来になく長い感じを受けますが、平成9年3月15日に岡山自動車道(正式名:中国横断自動車道岡山・米子線)が開通した結果、県都岡山から備北地域へのアクセスが格段に良くなったため可能となったコースです。
さて、岡山駅を出発したバスは国道53号線を通り、郊外化が進行する岡山市津高地区に設置された岡山ICから山陽道・岡山道・中国道を経由して新見に入ります。途中、高梁SAでは休憩を兼ね、新緑の吉備高原の景観を観察していただきます。続いて北房ICで中国道を下り、北房町の大谷一号墳を見学します。北房町はカルスト台地に囲まれた盆地にあり、備中鍾乳穴(かなちあな)をはじめとする多数の鍾乳洞があることで知られ、旭川水系の備中川上流域にあるため現在は落合町との結びつきの強い山間の町です。
当町域には規模こそ小さいものの200余の古墳があることや、また英賀(あが)郡衙跡と推定される遺構も発掘されており、先史・古代における備北の中心地の一つであったと考えられます。なかでも大谷一号墳は全国的にもあまり例のない5段の石積みを有する方墳で、古墳としては終末期に相当する7世紀後半の築造であることや、金銅製品・双竜環頭大刀の副葬品(町役場に展示)から、埋葬者はかなり地位の高い人物であると想像されています。一説には吉備大宰の墳墓ともいわれています。なお、現地では文化財保護委員の方から説明をいただく予定です。
また、現在の中心集落である呰部(あぎえ)は旧正月前に「ぶり市」が立つことで知られています。「ぶり市」は連鎖市の一つとして大正時代まではたいそうにぎわいました。この市の起源は、江戸時代に備中松山藩主石川主殿総慶が伊勢亀山藩に移った際にも同藩飛地領として残されたため、中津井に陣屋が置かれ代官が商業活動を保護したことによります。現在の市は呰部商店街だけになりましたが、旧正月を迎える節目として住民に親しまれています。
次に中世荘園研究のメッカ新見市に出ます。本来なら豊永台・草間台のカルスト台地を越えて行きたいところですが、時間の関係で中国道を利用します。まずはじめに新見ICで中国道を下り、新見市上市にある地頭方政所跡を訪れます。現在は水田の中に大石が残されているにすぎませんが、周囲を巡る濠跡と考えられる地割りが観察できます。また、上市の地名からわかるように付近には二日市庭がありました。
▲高梁川の旧三日市舟着場
新見市内にもどり昼食・総会の後、領家方にあった三日市庭跡、高瀬舟の船着き場跡、近世陣屋町の面影を残す町並みを探訪していただきます。新見といえば中世新見庄があまりにも有名ですが、近世には新見藩の陣屋が置かれ、現代につながる町づくりが行われたことも忘れてはなりません。藩の始まりは元禄10年(1697)、津山藩主森忠政の養子であった関長継の四男長治が新見に封ぜられ、1万8000石を給されたことによります。元禄11年諏訪山に館を築き、町割を行い、以後9代約170年にわたり新見の地を治め、新見市の基礎を築いたといえます。新見藩は明治4年の廃藩で新見県となり、のち深津県・小田県を経て岡山県に編入されました。
市街地は昭和13年の大火で大きな被害を受けましたが、T字路や遠見遮断の街路、近年整備された白壁づくりの町並みに近世の情緒を感じとっていただけるものと思います。町屋の中心部にはシンボル施設として商家の蔵をイメージした御殿町センターがあり、新見藩に関係する歴史資料の展示見学や、新見庄関係のビデオ資料の視聴もできます。この他、新見駅南側の高台にある新見美術館には、新見庄展示室があります。荘園域の概要を把握するには有益ですが、「たまがき書状」など文書類の展示は複製のものです。残念ながら今回は領家方土一揆集結地江原(ごうはら)八幡宮、領家方政所跡(たまがき碑が建っています)、代官祐清殺害現場などの史跡とともに探訪を割愛させていただきます。なお、近代の新見は、伯備線・姫新線・芸備線の結節点として機関区も設置され、牛市だけでなく鉄道の町としての性格を強めていきました。伯備線は昭和40年代にD51三重連の運転で名を馳せましたが、現在は電化され特急列車が頻繁に走る線区に変貌しました。その一方、姫新・芸備両線はローカル化し、運行本数も減少しました。
▲吹屋の町並み
さて、新見を後に哲多町を経由し、成羽町の吹屋ふるさと村にまいります。吹屋は海抜550mの吉備高原上に位置し、江戸時代から近代にかけて銅山とベンガラの町として栄えました。現在も街道沿いに軒数こそ減少しているものの、ベンガラ格子に赤銅色の石州瓦葺きの商家や町屋が軒を連ねており、国選定重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。ここでは明治42年建築の洋風学校建築として貴重な遺構である吹屋小学校で降車後、最もよく保存されている中町に出て散策していただきます。
町並みの中心部には明治12年完成の妻入り入母屋造りの商家(片山家分家)を公開した郷土館があります。間口5間、奥行16間の中級商家ながら、栗の角材や桜の巨材などを使用した木組みや書院まわりの造りには目を見張らされます。入館は各自の予定です。このふるさと村の近くにはベンガラ館、大正時代まで黄銅鉱などを採掘していた笹畝坑道、大庄屋の邸宅であった西江邸や広兼邸があります。このうち行程の途中にある広兼邸を訪れ、城廓と見聞違えるほどの壮大な石垣上に築かれた大邸宅を観察していただきます。時間の制約から邸内見学ができないのは残念です。
吹屋の後は城下町高梁を経由し、賀陽町・加茂川町にまたがって建設された吉備高原都市に向かいます。岡山県によりテクノポリスの一翼を担うべく建設された都市を車窓から見学した後、新都市及び岡山空港へのアクセス道路である県道岡山・賀陽線(愛称吉備新線)を経て岡山駅に戻ります。
公共交通機関の利用だけではとても1日では廻れないコースですので、この機会を利用して備北地域の歴史地理への関心を深めていただければ幸いです。多数のご参加をお待ちしております。
【河合保生】