第9回巡検
西近江路と朽木村
【日 時】 1993年11月28日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)
【案内者】 小林健太郎 池田 碩 高橋誠一 植村善博 秋山元秀 辰己 勝 野間晴雄
【参加者】 58名
「北京と東北三省の都市」を巡った第4回海外巡検を無事終了した今回は、久しぶりに湖西地方を訪ねることにいたしました。
当初は比叡山地と比良山地とをぐるりと一周する「鯖街道から西近江路へ」というコースを想定しましたが、比良山地の西側にあたる大津市葛川地区の道路事情が悪く、大型の観光バスでは通行不能ということで、コースの変更を余儀なくされました。
大津市葛川地区へは1969(昭和44)年5月25日のFHG第14回見学会で出かけました。葛川地区の道路自体は当時とそれほど変わってはおらず現在も路線バスは運行しているのですが、大型化してデラックスになった現在の観光バスでこの谷を縦貫するのは不可能だそうです。
止むを得ず西近江路をたどって朽木村へ向かうことにした最初の下車地点は、トイレ休憩を兼ねた白髭神社です。湖中に浮かぶ朱塗の大鳥居が有名で、本殿は1603(慶長8))年豊臣秀頼が造営したもので桃山時代の特徴をよくあらわしており、重要文化財に指定されています。
高島町の中心集落勝野は大溝とも呼ばれ、1578(天正6)年に織田信長の甥、織田信澄が居城して以来の城下町です。城と城下の縄張りは明智光秀によるといわれていますが、城は江戸時代には廃城となり、1619(元和5)年以降は分部氏2万石の陣屋町でした。町屋地区は小規模ながらも整然とした直交状街路で区画され、南北の幹線街路の中央には今も水路が流れており、往時の面影を伝えています。
朽木谷を見下ろす下位段丘の端に残る旧秀隣寺庭園は、1528(享禄元)年、将軍足利義晴が朽木氏を頼って朽木に数年間滞在した時の居館に造られたもので細川高国の代表作とされ、国の名勝に指定されています。
▲朽木村市場の集落
中世以来の市場集落に由来する朽木村の中心集落市場は、承久の乱(1221(承久3)年)以来幕末まで朽木を支配していた朽木氏の城下集落としても機能し、小規模ではありますが、屈曲した街路に沿った家並みが特異なプランを示しています。
高島郡には扇骨や筆、硯、ローソク、クレープ、地酒など、さまざまな地場産業があり「地場産しんあさひ」にはそれらが展示即売されています。
最後に、近江聖人とか日本陽明学の祖とも呼ばれた中江藤樹(1608~48)の遺蹟を訪ねます。戦前派の人には思い出のひとコマでしょう。戦後派の人は知識を増やしましょう。
そして懇親会。楽しく集いましょう。
【小林健太郎】