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第3回巡検

三河から知多半島へ―東海道の歴史的景観と伝統産業―

【日 時】 1990年11月18日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)

【案内者】 原 眞一 柿原 昇 樋口節夫 山田 誠

 会報第2号をお届けします。今年の夏は連続の熱帯夜でした。でも、9月半になりやっと秋雨の到来で身心がやすまるようになりました。会員の皆様にはいかがお過しでしたでしょうか。6月10日(日)の第2回巡検には、遠路にかかわらず「西播」の地に御参集願い、瀬戸内の風物をながめ、山陽道に歴史の遺構を訪ねることが出来ました。つづいて、7月下旬の1週間は総勢25名(添乗者を含む)で、懸案の「韓国巡検」に出ました。首都ソウルの大発展におどろきながら、一路南下、「韓国のハワイ」済州島に直行し、生命の洗濯をさせてもらいました。釜山の竜頭山、慶州・仏国寺を訪ね、大邱からは88道路で光州に行き、湖南道路で全州を訪ね、地方都市の活況を再認識しながら、扶余・公州の古都では日本との関係を改めて確認でき、大田からは朝鮮鉄道による「セマウル号」を経験しました。仁川では中央公園から旧日本人町や港の風景を眺めながら、面目一新した「大仁川」に驚異したものでした。このような「巡検」の有様を前者は本号で、韓国関係は有志の寄稿で別にパンフを作成することにしています。ともあれ、全員無事帰阪でき安心しました。

 ついては、第3回の巡検は地元会員からの要望もあり、今回は三河方面に出かけることにしました。この地方は関西人が東京への道中で、車窓から、その美しい風物をながめるだけの通過地域でありました。一度ゆっくり地元の姿をと考えていたところです。「日本のデンマーク」とも称された豊かな農村風景は今、一変しています。新幹線に新しく登場した「三河・安城」に集合し、三河平野の中心都市岡崎から、旧東海道に沿い赤坂・御油の歴史景観を訪ね、三河湾に沿い蒲郡・吉良・一色・碧南を経由、知多半島の常滑まで足をのばしたいと思います。これらの町では、伝統的な繊維産業のほか、案外知られていない塩田風景のほか、温床利用の養鰻業のほか、半田の町では醸造の実際を、常滑では焼物を中心に、伝統産業から脱皮し新興産業の町として、有名ブランドを発する容態を実地で学びたいと考えました。

 次々回(1991)の巡検は湖北、海外は北部タイを考え準備をしています。ニューFHGの巡検も何とか形だけは整いました。これからは会報の充実、年間行事におりこむ業務など、いろいろありますがあせらずゆっくりと、役員各位の力添えをえて実行したいと思っています。

 旧FHGの皆さまへの案内から、新FHGへと会員の切り換えも何とか出来上りましたので、1991年には一層の発展を考え、研究業務を加える計画をしています。会則(案)も掲載していますので御検討下さい。

 ともあれ、三河・安城駅で11月18日、お待ちしています。是非多数御参加下さい。

【樋口節夫】

三河巡検・案内抄

 巡検の集合地であるJR蒲郡駅は、名古屋から約1時間で着く。蒲郡の明治以降の都市発展は、予期もしなかった東海道本線の開通を契機とする。当初は、豊橋から御油・岡崎断層谷を経て名古屋へ向う予定であった。しかし、東海道5宿が鉄道を忌避したため、路線を三河湾に変更した。『東海道にてすぐれたる海のながめは蒲郡』と鉄道唱歌で紹介され、この風光明媚を売りものに、観光・保養地として脚光をあびていく。戦後は三谷、形原、西浦の各温泉が開発される。蒲郡から1973年全線開通した三河湾スカイラインで宿泊地の三河ハイツへ向う。

 翌朝、三河安城駅で当日参加者と合流する。3年程前新幹線の新駅開業によって、同時に在来線の新駅も開設される。今のところ、駅周辺は田園地帯で、なしや西三河特産いちじくの栽培が水田地帯に点在している。

 安城は、明治用水開通により、「日本のデンマーク」として注目されたが、今では、名古屋のベッドタウンの性格が強く、かつ、工業化も著しい。ここから矢作川を渡り岡崎へ行く。

旧東海道御油の松並木
▲旧東海道御油の松並木

 人口約30万の岡崎は、徳川家康の生誕地としてあまりにも有名な旧城下町である。近世、東海道の宿場町や矢作川の河港市(ニ七市)などの性格も兼ねた複合の都市機能を有して、町は大いに繁栄した。しかし、その遺構もはとんど消滅して、歴史的景観に見るべきものが少ない。岡崎公園で下車して、城を少し見学する。城を出て、中心街の康生通を一本南の国道1号を走る。バスは豊橋方面へ向け東進する。

 旧東海道の御油の松並木を歩いて御油宿へ。松並木資料館にはいる。この松並木は慶長9年(1604年)徳川幕府の道路政策として植樹される。現在でも往時の景観をよく残している。赤坂宿の関川神社に、「夏の月御油より出でて赤坂や』の芭蕉の句碑がある。両宿の距離(約2km)の短さを、夏の月として詠んでいる。

 御油宿より南へ下り蒲郡へ向う。途中、蒲郡の山麓一帯にみかん園が広がる。1973年からはハウスみかんも栽培され、豊川用水の開通により、その後、生産は急速に伸びる。ハウスみかんの生産量は全国一位である。しばらく市街地を通って、三ヶ根山スカイラインを走る。約300mの山頂にある三ヶ根山回転展望台にはいる。ここで、三河湾の眺望を楽しみながら昼食をとりたい。このスカイラインも蒲郡地区の観光開発の一つである。1967年に一部開通し78年に全通している。これに伴って、形原温泉と山頂を結んだロープウエー(57年開通)は76年に廃業した。

一色町の養鰻場
▲一色町の養鰻場

 食事後、スカイラインを下り、国道247号で三河湾に沿って行く。かつて三河湾の塩田の中心地である吉良町を通り過ぎ、一色町にはいっていく。温室ハウスの立ち並ぶ養鰻地帯を回る。89年の養鰻生産量で、愛知県は全国シェアの31.2%で一位を占め、静岡県は20.8%で第2位である。そして、一色町は県内生産量のほとんどを占め全国一の産地になっている。しかし、台湾産の輸入や生産過剰気味による価格低迷など課題は多い。

 碧南からは73年に開通した衣浦港東西連絡道路(海底トンネル)で知多半島に渡り、半田の衣浦港臨海工業地帯を車窓から見ながら、『洒の文化館』に着く。この資料館は85年に国盛によって開館された。半田は江戸時代から酒造の町でもあった。明治4年(1871年)の統計によると、清酒造は兵庫県が11.9%、次いで愛知県が6.4%と全国第2位である。この地域と周辺が県内の一大産地であり、江戸へ多くを出荷して、酒倉が立ち並んでいた。ミツカンの酢として全国いや世界に知られている中埜酢店の本社がこの半田にある。

 最後の見学地は窯業の町常滑です。半田から知多半島横断道路を経由して30分程で、常滑陶磁器会館に着く。会館のそばから「やきもの散歩道」がはじまる。窯業の町の景観が凝縮する。本年度の中部地方建設局の「手づくり郷土賞」に輝いた土管坂は是非歩きたいものだ。夕暮れの土管坂の小径から、町並みの向こうに海がちょっと見える。

 静寂な散歩道を回って陶磁器会館へもどる。会館にも少し立ち寄ってみる。ここを後にして、知多半島道路と名古屋高速道路を走って、一路名古屋駅へと直行することになるでしょう。

【原 眞一】


巡検報告

11月17日(土)

17:00 JR東海「蒲郡駅」に集合。原先生の出迎えをうけ、久しぶりの宿泊を伴う巡検の開始。なかには、岡崎市の定期市(二七市)を見学にいった人もあるとか。
17:30 宿泊地である三河ハイツに到着。この宿泊施設はかつてFHGで渥美半島の巡検のさいに泊まった思い出の場所。人々の談がとびかう。

11月18日(日)

07:30 起床。朝食の後、当日集合となる「三河安城駅」に向かう。
09:30 三河安城駅到着。当日参加の人々と合流し、三河路の巡検が開始される。バスは国道1号線を経由して一路岡崎市内へ。
10:20 岡崎城にて下車。途中では、原先生や樋口先生により、最近の国道1号線の交通量の増減に関しての説明を受ける。岡崎城天守閣より、市内の景観を一望する。
11:15 旧東海道の宿場町「御油・赤坂」に到着。松尾芭蕉の句でも有名なこの宿場町は、現在も見事な松並木が残されており、あちらこちらに当時の景観を偲ぶことができる。
12:45 三河湾を望みながら昼食。その後総会を実施。
14:15 吉良町を通過。かつては海岸線に多くの塩田が存在していたとの説明を受ける。その後、一色町において、うなぎのハウス養殖を見学。この土地は、駄菓子製造でも有名である。
15:30 碧南市の海底道路を通過の後、知多半島の半田市にはいる。最近の名古屋周辺の工業生産の説明を受け、その後、半田市の醸造業について説明を受ける。酒造博物館を見学。新酒製造のころか、多くの方がお酒を購入。
16:00 知多半島横断道路を通過。道路の左右に酪農業が見られ、戦後の愛知県の農業の発展について説明を受ける。
16:30 常滑市に到着。陶器の町、土管の町としての常滑市の特徴をきき、その後各自散策。遠方の方はここで下車。1次解散。
17:10 知多半島縦断道路にて、一路、解散地名古屋に向けて出発。車窓より知多半島の景観を見ながら、名古屋高速自動車道に入る。
18:15 名古屋駅到着。各自流れ解散となる。この巡検に関して多くの資料を提供して頂いた、春日井西高校の原先生に感謝いたします。