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【リレーエッセイ4】


地図・地形図との60年の絆

宮﨑信隆(農博・東京CRO(株)顧問・
元武田薬品工業(株)医薬開発本部)


平城京「羅城門」跡地石碑前
▲奈良市九条・平城京「羅城門」跡地石碑前<筆者:左端>

 小学3年の時に、旧制高等女学校教諭であった亡き母が戦前の旧制中等学校教科書として使われていた地図帳を見せてくれたのが「地図」との出会いである。当時、習い始めた漢字より難しい“昔”の漢字で書かれていて、一生懸命に都市名を覚えていった記憶があり、それ以後、地図ファンになった。

 その後、地図への関心が薄らぎかけていた高校3年の時に、クラス担任が「地理同好会」で10年先輩の「地理」の井上先生であった。当然、藤岡謙二郎先生のお話が出てきて、大学での活動に関する興味が大いに膨らんだ。爾来、「地図」・「地形図」、そして藤岡謙二郎先生を始め、諸先達から「地理学」のお話を聴くことになり、「地形図に歴史を読む」を始めとして、地形図上に読み取れる歴史的景観・都市計画・領地支配戦略等々に浸ってきた。卒業後は「FHG」にも早期に入会し、第1次台湾巡検(1969年)には博士論文(農芸化学専攻)のデータ作成実験の間隙を縫って参加させて頂いた。特に、東部の花蓮地方の素朴な風土と花蓮茶は失われた昭和20年代後半の日本の風物を思い出して懐かしかった。

 武田薬品工業㈱に入社後約40年間の医薬品研究・開発の傍ら、時々FHG巡検に参加して「地理」の世界に浸り、野間会長の武田科学振興財団「杏雨書屋」古文書調査にもお付き合いしたことがあった。 この間「地形図」では、その「基本図」が「五万分の一」から「二万五千分の一」に変遷し、より大縮尺の「地形図」により巡検目的地付近が詳しく表現される。街並では「二万五千分の一」と「一万分の一」の両方を用意して、一つの寺院の存否は素より、境内の配置など更に多様なことを読みとることができるが、ニューFHGでは、古代から近代までの広範囲に亙る時代を巡検の対象とされており、特に、歴史地理学・考古学研究の境界的な国分寺跡、旧大路跡などの図幅には大いに引き込まれて、その広い背景に想いを致し、詳しく知りたくなる。就中、この10余年は、「地形図」に遺存されている「地形」、「歴史」との関連等々を10キロ前後歩いて巡ることにも興味を持っている。月1回1日で巡る「地形図」上の範囲は広くないが、山あり、峠あり、街あり、各所を時間かけて、多くの人々と語らいながら歩くことも「地形図」の効用の一つである。

 因みに、最近の訪問地には「『下つ道』北上:平城京は十条まであった」と題して、天理市二階堂より、地形図に残る黒い1本線の「下つ道」跡を北上し、稗田などいくつかの環濠集落(跡)・稗田阿禮の生地賣太神社などを過ぎて平城京羅城門跡地、その近くの「平城京」の「十条大路」側溝跡の発掘現場など約10kmを巡るなど、カレント・トピックも含んでいる。毎回30~50名が参加し*、筆者が案内した記録集的な冊子は大著『地形図に歴史を読む』に肖って「地形図に歴史を歩く」として纏めている。

 7年前に医薬品臨床開発業務を各メーカーから受託する新興業界のCROに入ったが、「地形図」への関心も堅持していきたい。

*「関西地図の会」:事務局・㈱武楊堂、後援:国土地理院近畿地方測量部・財団法人日本地図センター、創立・1994年、会員数約200名(筆者は2008年4月より副会長を務める)

(2008年9月11日)