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第41回巡検

土佐国奥座敷と歴史風景 ―高知城下町・伊野・佐川・須崎・弘岡・桂浜―

【日 時】 2009年6月6日(土)~7日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)

【案内者】 大脇保彦 藤塚吉浩 片岡 健 正木久仁 森田 勝 辰己 勝 西村 進 野間晴雄 矢野司郎

【参加者】 6月6日:25名 7日:41名


高知城下町

 高知駅北口に集合し、高知市内を見ながら、堀川へ向かいます。途中の車窓からは、高知城下町の外堀であった江ノ口川、はりまや橋が見学できます。

 堀川は、浦戸湾から高知城下町へ物資を運ぶ運河であり、河岸がありました。土佐藩の宰相野中兼山により17世紀半ばに作られた、山田堰から上井・中井・舟入川が、八田堰から弘岡井筋が新たに掘削されて、物部(もののべ)川と仁淀(によど)川の流域の米や、上流の木材・木炭は、堀川を通じて、九反田にあった米蔵に集荷されました。この後、城下町の武家屋敷地区である郭中へと移動して、佐川の土居付き家老である佐川深尾氏(深尾氏の本家で、他に4つの分家があります)や、安芸の土居付き家老である五藤氏の高知城下屋敷を見ます。東西に隣り合うこの2つの屋敷だけで、現在路面電車が通る本丁筋から高知城の内堀までの1つの区画を占有しており、山内藩の正月の恒例行事であるお馭初めでは、佐川深尾氏の本丁筋の櫓から藩主が、上士・郷士の騎馬が西から東へ疾走する様を見たそうです。その際の佐川深尾氏が藩主を接待する際のメニューとその具材を記した14mほどの史料を現在青山文庫に展示しています。

伊野

 伊野は、藩の政策によりつくられた御免・野市・新川などと異なり、自然発生した在郷町といわれています。土佐和紙の発祥地とされる成山(なるやま)の近くです。伊野は近世に成山とともに藩の御用紙製造地として保護され、現在も製紙の町として知られています。

 いの町紙の博物館では、土佐和紙の歴史と、手漉(てすき)により土佐和紙が楮から紙になるまでの工程を見ることができます。土佐和紙の歴史のうえで重要な人物として吉井源太がいます。彼は伊野村で文政9年(1826)に代々御用紙漉きの家に生まれて、近代の土佐和紙の発展に寄与した人物です。製紙に関する藩の束縛統制の撤廃された明治初年に、楮・三椏・雁皮混合の大小半紙といった新製品を開発しました。

 平成16年高知県紙及び製紙原料生産統計によると、高知県で土佐和紙を作る手すき工場は31戸あります。そのうち、いの町に10戸、土佐市に15戸です。昨年2008年にはいの町波川にある高知県の紙産業技術センターなどが、美術工芸用の高級紙大濱紙を関発しました。この大濱紙に平山郁夫など美術画家が作品を描き、いの町紙の博物館や高知で唯一のデパートである高知大丸で披露されました。

 伊野の中心を通り抜けると、右手に「伊野の大国さま」と親しまれている椙本神社が見えます。ここの祭神は大国主命です。弘長3年(1263)に神輿が寄進されていて、後世に補修された当社に伝存し、この五角形漆塗神輿は国の重要文化財です。

佐川

佐川地質館
▲佐川地質館の展示(佐川は日本地質学発祥の地)

 昼食前に佐川町内にある佐川地質館を見学します。日本地質学の黎明期に活躍したナウマン(1854-1927)がこの地域を世界に紹介しました。付近で採取される化石、恐竜模型が展示されています。

 佐川町立青山文庫の「青山」は元宮内大臣の田中光顕の雅号です。幕末の生き証人である光顕の収集した、坂本龍馬・中岡慎太郎・武市半平太など幕末維新の志士の書状や書画を所蔵しています。また日本の植物学の草分けである牧野富太郎、ブラジル移民事業の草分けである水野龍、土佐藩筆頭家老である佐川深尾家の史料など13,000点を所蔵しています。その他、西谷文庫として、『解体新書』(初版)、『セルボーンの博物誌』関連史料など10,000点もあります。現在の常設展では、白装束の龍馬が夢枕に立った昭憲皇太后の「蒔絵文箱」、古代に信仰されていた四神信仰の神獣を描いた全幅3.6mの華麗な「四神図」を展示中です。

 青山文庫に至る経路には、幕府の巡検使の宿であった国指定の重要文化財「竹村家住宅」があります。同家を主なルーツとする司牡丹酒造は淡麗辛口の土佐を代表する銘酒を製造しています。江戸期から現在に至るまで様々な時期の白壁の蔵が所狭しと立ち並び、佐川の街のこれまでの歴史を感じることができます。近隣には、土佐藩筆頭家老であった佐川深尾氏の菩提寺である臨済宗妙心寺派の青源寺があり、その境内の庭園は同町内にある真言宗の乗台寺とともに、土佐の三名園とされています。

須崎

 住友大阪セメント高知工場や、日鉄鉱業、地元資本の白石工業など、石灰石を原料とする工場があります。仁淀川町の鳥形山(標高1,340m、旧高岡郡仁淀川村別枝)を露天掘りして採掘された石灰石は、立坑に投入されてクラッシャーで一次破砕された後に、須崎までの全長23km、標高差850mを9基のベルトコンベヤーで運搬されます。ベルトコンベヤーの大部分は山中の地下に設置されていますが、津野町(旧葉山村)では国道197号線(梼原町や愛媛県八幡浜市に通じる)の土を跨いで地上に設置されており、実際に見ることができます。石灰石は新庄川河口西側に設けられている日鉄鉱業の桟橋から、オーストラリアヘ輸出されます。須崎港は、高知県全体の6割前後を占める高知県で最大の貿易港で国の重要港湾です。県内では他に高知港、宿毛湾港が国の重要港湾になっています。

 

弘岡

 小林健太郎先生が調査された弘岡市の故地は、現在高知市春野町に属し、市中心から南西へ約10km、烏帽子山(標高359m)を主峰として東西にのびる山塊の南側に東西方向に細長く展開する弘岡平野の西部に位置します。高知平野との問には標高96mの荒倉峠を越える街道が通じています。弘岡平野の西方は仁淀川をはさんで天正期の高岡市から発達した土佐市の中心市街があります。

 荒倉峠から南下する現在の国道56号線は弘岡平野西部を斜断して仁淀川大橋を渡り、土佐市に通じています。この国道と、北方荒倉神社から古城山東麓を南下して弘岡平野に出て、新川に至っている道との交点(釘抜)から南へ約300m下った付近に小字「市屋敷」があり、ここが弘岡市の故地です。

 現在春野町では、春野産ミネラルトマトが栽培され始めています。一番の特徴はミネラルの代わりに肥料として室戸海洋深層水のニガリを使用していること。その結果マグネシウム含有率が高くなり、栄養価に優れたトマトが生育します。また仁淀川の伏流水を使ったロックウール栽培を採用。土栽培と異なり病気が防げるだけでなく、いつでも安定した昧と量を供給することができます。

 ロックウール栽培とは養液栽培の一種です。鉱物で作った人工培地で無機質・無菌。また空隙が95%以上もあり根が成長するために大切な通気性、保水性、保肥性にも優れています。土壌栽培では何年も同じ土でトマト栽培をすると必ず土壌障害が起こってしまいます。これを回避するために化学薬品を使い土壌を消毒し有害菌をなくすのが一般的な栽培法です。ロックウール栽培では、これらを回避することができ安全なトマトを供給することができます。水槽にトマトを入れると、通常のトマトは浮かんできます。しかし、深い赤の実がぎっしりと詰まったミネラルトマトは沈んでいきます。栄養分がたっぷりと詰まっているからです。

桂浜

 坂本龍馬の彫像は、幕末維新の志士で大正14年に青山文庫を設立した田中光顕が主となって、昭和3年に建立されました。彫像したのは宿毛出身の本山白雲です。高知市出身の大町桂月はこの桂浜の月の景色を愛し、歌を詠んでいます。

 坂本龍馬の彫像や高知県立坂本龍馬記念館がある場所は、天正期末に浦戸城があり、豊臣政権下での長宗我部氏の本拠として文禄慶長の朝鮮出兵の兵站基地として使用されました。その後慶長5年に山内氏が土佐国に入国して、大高坂城を増改築することで高知城ができます。

【片岡 健 佐川町立青山文庫学芸員】


巡検報告1〔6月6日 高知市内ミニ巡検〕

14:00 JR高知駅北口集合、野間会長のあいさつ、藤塚先生の案内で木造屋根ドーム型の新駅舎はJR四国内では初めての自動改札・バリアフリーの駅として、先月5月13日にオープンした。路面電車駅を30m北延させ乗り換えがスムーズになった。周辺空き地はパーク&ライド駐車場として整備の計画。14:20タクシーに分乗して出発。
14:40
高知市街の景観
▲高知市街の景観
五台山展望台着、旧ロープーウェイ山頂駅の屋上展望台から高知平野を見下ろしながら大脇先生が説明。土佐国府跡、土佐日記時代の大津(港)、1998年水害状況、近世以降の浦戸湾干拓、JR高知駅あたりもかつては浦戸湾だった。高知新港は巨大な予算をつぎ込んで作られたが、外国船は一隻も入港していない。高知城下町絵図(配布資料)の都市プラン図について聞く、街路方向は条里方向と少しずれている。
15:20 竹林寺、四国八十八か所三十一番札所。階段で集合写真、巡礼のお遍路さん集団と出会う。
15:35 牧野植物園入り口着、自由に見学。園内の「お馬道」は竹林寺の門前道であり、石畳の旧巡礼道も敷地内を通過していた。牧野富太郎の業績が展示されている。
16:40 再びタクシーに分乗し牧野植物園前を出発。16:55はりまや橋交番前着、電鉄ターミナルビルのからくり時計「17:00の時報」をを見物。交差点の対岸にあった西武百貨店は2002年12月に閉店され現在は空き地となっている。大脇先生から「高知市街絵図」の説明を聞く。
17:15 はりまや橋東公園(旧堀川)に沿って歩く。都市景観大賞を受賞した水辺の町並み、壁面の「水切り瓦」が特色。使者屋橋にて河田小龍の市街図(明治11年)などの説明。はりまや橋商店街木造アーケードを歩く。
17:45 地下広場の壁「浦戸湾風俗絵巻(陶磁器で作成されたの壁画)」には堀結~桂浜の様子が描かれている。
17:57 壱番街、18:00懇親会場「酒処かね三」の前で解散。健脚組は追加30分の巡検へ。
18:10 帯屋町アーケード、オビパラ=「帯屋町パラソル」という雨の日には切れたアーケードをつなぐ巨大な傘が開く)。一見活気があるように見える商店街だが、近年はかつての店舗に変わり携帯電話・宅急便・コンビニ・金融業者などが増えてきた。
18:15 ポケットパーク、ここは石畳道の景観整備され、おしゃれな街路として、90年代には一時人通りが戻ったが2004年8月の映画館の閉館や、ダイエー閉店などで寂れてきた。
18:20 中ノ橋商店街、高層マンション建設が城下町景観を壊すのではと危惧されている。
18:25 大橋通り商店街、1998年10月「ひろめ市場」オープン。屋台食堂・居酒屋の飲食店街で近年観光客が増えてきた。18:30懇親会場に到着、前日巡検は終了。

巡検報告2〔6月7日 土佐国奥座敷と歴史風景 ―高知城下町・伊野・佐川・須崎・弘岡・桂浜―〕

09:00 JR高知駅北口集合、野間会長の挨拶、案内者の紹介。9:05バスに乗車。駅周辺はかつては「塩田(シオタ)」と呼ばれた浦戸湾の干拓地であった。城下町は先史を受けたが、武家屋敷が1軒のみ残り建物保存されている。周辺に大月桂月や寺田寅彦の生誕地あり、寺田はドイツ留学中ペンクの地形学講義にも出席していた。
09:21 坂本龍馬生誕地前、山崎直方生誕地(場所をかつて田中啓爾が確認したというが不明)を通過しさらに西へ向かう。このあたりかつて製紙パルプ工場があり、その排水でヘドロのドブ川であった。扇状地の豊富な伏流水が製紙に利用されてきた。
09:26 鏡川を渡る。高知大学キャンパスはかつては44連隊(日露戦争でにも参戦)が置かれた場所で、地下水(井戸水)が豊富である。全国的に見ても師団や連隊の置かれた場所は「水」が豊かなところと一致する。明治41年に土佐電鉄が伊野まで開通した。右側の山地傾斜地にはショウガ畑が多い。高知県はショウガ生産が多い。
09:45 伊野市に入り椙本神社(大黒様)前で下車、伊野は和紙の町として栄え紙問屋が多くに並んでいた。今も「水切り瓦」のある古い町屋が残る通りを歩く。かつては水害と火災の多い町であった。
09:55 紙の博物館(土佐和紙伝統産業会館)着、町田好徳(前館長)氏の説明で展示を見学。和紙工場は高知県下で30となり、伊野には10工場が集中している。10:40紙の博物館を出発してすぐ仁淀川を渡る。伊野までは高知市内の通勤圏。バブル期には県下にゴルフ場が20か所計画された、しかしバブル崩壊でこのあたりではここに1つだけが作られた。日高村は石灰石採石場(露天掘り)があり、地下トンネルのベルトコンベアで須崎港へ運ばれている。
10:57 佐川地質館着、案内者の片岡健(青山文庫)氏が合流。溝渕富弘(佐川地質館)氏の説明で展示を見学。この地質館はふるさと創生1億円をもとに建設された。中央構造線が通る四国で佐川付近の地質は、秩父層帯でさまざまな化石を産出。5km幅にシルル~白亜紀の地層がみられる全国でもユニークな場所である。仏像構造線の「仏像」は近くの地名に由来。飼育中の生きた化石オウム貝(アンモナイトの子孫でイカの仲間)など見学。
11:45 佐川には「城と屋敷の中間形態」の町並みが見られる。
11:50 大正軒(昼食・総会会場)着、会計報告、夏の韓国巡検案内、11月29日:20周年記念、午前:京大・出町柳~北白川徒歩巡検、午後:公開講演会。記念出版の計画。野外歴史地理学研究会編『シネマ世界紀行』(ナカニシヤ出版)紹介。初参加の方の自己紹介。ウナギ料理をいただく。
12:50 大正軒発、佐川町内を徒歩巡検。佐川町は茶の産地でもある。
13:00 青山文庫着、片岡健(青山文庫)氏の説明で展示物や高知城下町絵図、司牡丹酒造・竹村家住宅・黒鉄ヒロシ(漫画家)生家・牧野富太郎生家などを、NPOのボランティア郷土ガイドの説明を聞きながら自由に散策。
14:05 佐川町出発(ここで片岡さんと別れる)。西村進先生によるプレートテクトニクス・地質構造の説明、大脇先生より野中兼山、治水工事の説明などを聞く。
14:30 仁淀川大橋を渡る。左岸堤防沿いにを南下。
14:40 涼月橋「新川の落とし」新川用水水門に到着。浦和湾からここまで水運(川船)で物資が運ばれた荷物はここで積み替えられ仁淀川を遡ることになる。逆に仁淀川を下った物資はここから新川用水路で高知城下へと運ばれた交通の要衝であった。
14:50 「新川の落とし」出発、故小林健太郎先生のフィールドであった弘岡に入る。現在は園芸農業・ハウス農業が盛ん、ナス(東部)・スイカやメロン(西部)の栽培が中心。近年スポーツ施設の集中している。「一両具足」地蔵などの説明があった。
15:24 桂浜着。丘を登って坂本龍馬像で集合写真、アイスクリンを食べる。
15:55 駐車場に戻り、野間会長挨拶。16:00桂浜出発。
16:30 JR高知駅北口着、解散、お疲れ様でした。

【記録:西岡尚也】