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第28回巡検

近江八幡水郷めぐりとあきんどの里を訪ねて

【日 時】 2002年12月1日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)

【案内者】 秋山元秀 池田 碩 井戸庄三 関口靖之 辰己 勝 樋口節夫 松田隆典 森田 勝 山田 誠

【参加者】 57名


 今回は晩秋の湖東地方をゆっくりと時間をかけて丁寧に見学する巡検を企画しました。五個荘町と近江八幡の町並みを歩きながら、歴史的変貌とそこから日本各地はもとより海外にも進出して活躍した近江商人の業績をみていきたいと思います。

 集合地のJR近江八幡駅から国道8号線に出て北に向かい、五個荘町を訪ねます。この付近で国道8号線は旧中山道を踏襲しており、しかも東海道新幹線が並行して走っています。途中、新幹線で分断された老蘇の森を抜け、五個荘町に入ります。

 今回の見学地のうち、五個荘町は20年前にFHGで訪れました。その時に比べると「あきんどの里」と呼ばれる近江商人の旧家が残る町並みは、周辺に新しい道路がつけられた以外は、さほど変化していません。むしろ、近年、金堂地区は重要伝統的建造物群保存地区として、旧家のみでなく集落全体が指定され、落ち着きを取り戻したようにも感じられます。

 はじめに、平成7年に建設された「てんびんの里文化学習センター」の3階にある「近江商人博物館」に入ります。ここは五個荘を中心とする地域の歴史と商人の発祥の過程や、近江商人の業績が詳しく紹介されています。展示品と映像や模型で、近江商人の概要を知ってもらい、バスで移動し金堂地区の旧家を見学します。

 金堂地区で公開されている旧家は3軒あります。まず、旧外村宇兵衛家住宅です。母星は全国の長者番付の上位に名を連ねた隆盛時には、約2,700平方メートルの敷地があったそうです。東京・横浜・名古星・京都などに支店をもち、呉服・生糸商人として繁栄した五個荘商人の本宅の典型です。

 ついで「あきんど大正館」として公開されているのは、戦前朝鮮・中国に20余の三中井百貨店を経営し、百貨店王と称された、中江勝治郎と子孫の屋敷です。蔵の中には当地で生まれた小幡人形をはじめ全国の土人形が多数展示され楽しく見学できます。二階から外を眺めると、重厚な瓦屋根と白壁の蔵が続き、歴史の重みを感じます。

 3軒目は外村家と併設の近江商人屋敷「外村繁文学館」です。外村繁は一時家業を継ぎましたが、文学への志を貫き、商業小説の分野を開拓しました。この屋敷は繁の生家で、数多くの遺品が展示しています。

 一度に全員が入りきれないので、二手に分かれて見学します。屋敷の中の見学とともに鯉の泳ぐ小川を見ながら町並みの散策も楽しんでください。なお、前回見学したスキー毛糸の創始者・旧藤井彦四郎家は、歴史民俗資料館として公開されていますが、今回の見学先からは割愛しました。

五個荘町の町並み
▲五個荘町の町並み

 五個荘町では、町まるごと博物館を構想し、集落の周りの田畑が条里制水田保存地区として指定されているのも特徴です。別の機会に是非再訪され、金堂地区以外も散策していただきたいものです。毎年9月には非公開の居宅・庭園・神社仏閣を開放し「ぶらりまちかど美術館・博物館」のイベントが公開され、大正ロマンを彷彿させる時代絵巻行列も行われています。

 五個荘をあとにして、最近開通したきぬがさ山トンネルを抜けて、朝鮮人街道を南下します。西側に安土城址、東側に安土城考古博物館をみながら、再び近江八幡に戻ります。この街道の名称は、江戸時代に12回にわたって朝鮮通信使が八幡の町を通り彦根へ向かったことからつけられました。

 県下4番目の人口(約6.8万人)を有する近江八幡一帯にはかつては篠田、船木、桐原と呼ばれる郷がありました。その後八幡山を中心とした山のふもとに日牟礼八幡宮を氏神様としていた13の郷の農民たちが、4月14・15日に踊ったまつりは、八幡まつり・松明まつりとして今に引き継がれています。平安時代末期になり武士が台頭してくると、頼朝挙兵に参戦し功を立てた佐々木定網が近江国の守護に任じられ、「観音寺城」を築きました。湖東地域は京都に宿所をおいた佐々木六角氏に約400年間支配されていくことになります。

近江八幡水郷めぐり
▲近江八幡水郷めぐり

 豊臣秀次が天正13年(1585)に43万石の領主となり、八幡山に八幡城を築きました。秀次は縦12筋、横4筋(一部6筋)の町を職人町、商人町、仲介商人町などと筋々を決めて整然とした碁盤の目状に整えました。戦いに備えて町を迷路化するのが普通ですが、秀次は交通の流れを考え、町の発展のための区画整備を実施しました。湿地帯であったところに堀の砂を入れ、全長6キロメートルの運河「八幡堀」を設けて、水陸の交通を利用するものはすべて八幡の町に入ることを定め、多くの人々が立ち寄り、色々な物資や情報が集まりました。わずか5年足らずの治世だったにもかかわらず商いの町としての基盤を築いたのです。今回の水郷めぐりの和舟はこの八幡堀の東側をゆったりと走ります。午後のひと時、少し寒いかも知れませんが、宮中の舟遊びに似せて、秀次が始めたという葦のあいだの水路をめぐってもらいます。

 秀次の死後、八幡は商人が活躍する町として発展していきました。八幡商人は近江商人の中でも古くから活躍しています。畳表やもえぎの蚊帳で成功し、「八幡の大店」といわれた西川利右衛門の旧住宅を見学します。たくましく、したたかに生きたあきんどの息吹きを、私たちも見習いたいものです。

 市内の見学では、近江商人の町並みと洋館建築が中心になります。郷土資料館・歴史民俗資料館および旧西川家住宅の見学と、ヴォーリズ記念館の見学のあとは、八幡堀から日牟礼八幡宮あたりを散策してください。

 さて、八幡といえばメンソレータムの近江兄弟社は有名ですが、ヴォーリズについて知る人は少ないようです。またその名を知っていても彼は建築家とか事業家と考えられていますが、実はキリスト教の宣教師として伝道のため明治38年(1905)来日しました。英語教師として、滋賀県立商業学校(現在の県立八幡商業高等学校)に赴任するも2年で解任されましたが、当時の教え子ら同志とともに近江ミッションを形成し、近江に「神の国」をつくろうとしました。建築設計、医療、出版などは伝道の手段だったのです。記念館ではヴォーリズの生涯についてのビデオを見たのち、生前の居間や寝室を見学します。

 八幡の市内には至る所に素敵な店があります。特産品も多くショッピングも楽しめる一日になるでしょう。近江八幡駅で解散後、駅前のホテルで恒例の懇親会です。こちらにも気楽に参加してください。

 近江商人の家訓に「三方よし」があります。「売り手よし」・「買い手よし」・「世間よし」です。今回の巡検も、「参加者よし」・「案内者よし」それに「地域よし」となることを願っています。たくさんの参加をお待ちしています。

【辰己 勝】


巡検報告

09:40 JR近江八幡駅北口集合、山田会長挨拶の後、バスに分乗。
09:50 出発、五個荘町へ向かう。車中では辰己先生と松田先生の約20年前からの駅前変化、関口先生の古代東山道と中山道の関係、樋口先生の近江商人発祥の地、秋山先生の武佐や老蘇の森などについての説明を聞く。
10:10 近江商人博物館到着。館内はジオラマ、映像を利用して近江商人のルーツなどについて詳しく紹介していた。博物館を背景に記念撮影後、バスで五個荘観光センター駐車場へ移動。
10:50 一号車は中川さん、二号車は辻さんというボランティアガイドの案内で五個荘町金堂の町内見学へ。旧外村宇兵衛家、外村繁文学館、あきんど大正館などを見て回り、町内を一周。
12:04 再びバスに乗り、出発。車中では池田先生から琵琶湖湖岸線の変遷や大地震の、井戸先生から近江瓦の説明を聞く。また、井戸先生からは発掘が進み整備が進む安土城跡の様子を開く。バスは朝鮮人街道を進んで近江八幡の城下町へ。
12:21 昼食会場、厚生年金休暇センター・ウェルサンピア滋賀に到着。昼食後、総会で来夏の海外巡検の予定3コースの説明。台湾巡検の文集が配られるとともに、藤岡先生の奥様から『都市地理学の諸問題』50冊をいただき、各自で持ち帰る。
13:13 バスで出発、水郷めぐりの船着場へ移動。
13:25 手こぎ船(8人乗り)に分乗して出発。葦の水郷をゆっくりと廻り、景色を楽しむ。
14:43 下船後バスで出発して、近江八幡市内へ。八幡市街地は豊臣秀次により作られた。到着後ここでも号車ごとに分かれて見学。一柳記念館(ヴォーリス記念館)では、ビデオで宗教者・教育者・建築家など多彩な顔をもつヴォーリスの足跡をたどる。市立郷土資料館・西川家住宅は見越しの松が並ぶ住宅地の一角に。八幡堀や市街地散策で、ちょうじ最中やでっちようかんを求める人々、メンタームを販売する近江兄弟社もみえる。
16:45 駐車場を出発して近江八幡駅へ向かい、17時過ぎに駅で解散。その後はホテルニューオウミで懇親会が催される。19時過ぎ盛会のうちに懇親会は終了。帰る人のほか、泊まる人もあり。