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第24回巡検

三州足助と尾州瀬戸の景観と暮らしを訪ねて

【日 時】 2001年5月20日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)

【案内者】 山田正浩 高橋誠一 米家泰作 樋口節夫 藤田佳久 山田 誠 原 眞一 秋山元秀 柿原 昇

【参加者】 70名


 三州足助・尾州瀬戸方面を巡るコースを設定してみました。両地域は名古屋大都市圏の北東部に位置し、それぞれほぼ40km・20kmの圏域にあります。足助では「塩の道」の歴史的景観やまちおこし、瀬戸では万博開催予定地の里山景観や珪砂採掘場に巡検の中心を置きました。

名古屋から足助へ

 JR名古屋駅西ロから駅正面に回り、錦通にある名駅入口から名古屋高速道路へ。都心環状線の北を通り、楠ジャンクションから東に折れて東名阪自動車道を走行する。名古屋高速道路は、1979年から順次供用され、2001年3月10日現在、計画路線81.2kmの61%にあたる49.6kmが開通している。まもなく名神高速道路・小牧インターに接続され、高速道路や幹線道路とのネットワークの整備が著しく進展することになる。

 名古屋東部の本郷インターを出て、東名高速道路・名古屋インター近くを通り、新興市街地を東に進むと、丘陵の緑地帯に変化する。右手車窓に愛知青少年公園が広がる。ここをメイン会場にして万博が2005年に開催される。さらに進むと、尾張東部と三河西部を結ぶ猿投(さなげ)グリーンロード(14.3km、有料区間11.7km)へ通じる。この道路の開通(1972年)は、名古屋から足助方面への時間が大幅に短縮されるなど、地域や暮らしに大きな影響をもたらした。尾張東部丘陵地帯を快走し、力石を左折。ここから豊田市街方面から延びる国道153号線を足助へと進む。15分ほどで矢作川の支流巴川を渡ると、中心市街にさしかかる。足助八幡宮を過ぎた所で下車。巴川に沿って続く渓谷が、紅葉で名高い景勝地・香嵐渓である。

香嵐渓と足助のまちづくり

三州足助屋敷
▲三州足助屋敷

 足助は実に多様な実践を通じてまちづくりに取り組み、着々と成果をあげてきた。第二次総合計画「足助ロマン計画」を終えた後、1996年から2005年にかけて、第三次総合計画「足助シャングリラ計画」による、新たな理想を求めるまちづくり施策に取り組んでいる。

 町を挙げての香嵐渓の整備は、今日の足助の観光化とまちおこしの原点となった。1923年から飯盛山周辺の渓谷に桜やもみじを移植したことが、「香嵐渓物語」の始まりである。高度経済成長期に過疎化が進行する中、香嵐渓の再整備が図られた。まちづくりの大きな起爆剤になった三州足助屋敷は、1979年度農林水産省の山村振興法に基づく第2期山村地域特別対策事業の補助を得て、1980年に香嵐渓地内に誕生したもので、ドラマティックに崩れていく山村の生活文化に着目した「生きた」民俗資料館である。キーワードは日常生活での「手仕事」を掲げている。高齢者の職場確保と生きがいの創出を兼ねる観光事業としても注目され、開業以来、足助の文化観光の目玉にもなっている。

 足助屋敷を出て、巴川の清流に沿う遊歩道を少し行くと、昼食会場となる料理店「一の谷」に着く。

 ここでは異業種の5人の町民が、廃屋になっていた草葺きの農家をこの地に移築して再利用を図り、協業制により1964年から営業している。山里の伝統的民家と季節の地域食材を活用した民間パワーも、足助の観光とまちおこしの推進に貢献している。

 昼食後、「福祉は観光なり」をスローガンとするユニークなまちづくりを実践している足助町福祉センター「百年草」に向かう。乗車して5分余りの所にある。町制施行(1890)百周年の記念事業として1990年に開館した施設で、ノーマライゼーションをキーワードとした、町民の生涯現役の福祉活動を支える拠点である。洒落た多機能複合施設には、ホテル、レストラン、喫茶、浴場、ハム工房、パン工房などが併設されている。足助観光の一翼を担っている。

足助の歴史的景観・塩の道

 足助は、名古屋・岡崎・信州飯田などの主要地域と街道でつながる三河山間の交通の要所であり、近世から明治期にかけて栄えた「塩の道」の往時の面影を今に伝えている。ここは三河湾の塩を信州の山間地域に移送する経路に位置し、中継地としての機能をもったことから多くの商人が集まって賑わい、山間の在郷の商人町や宿場町として発展した。この道は江戸時代、中山道の協往還となり、「伊那街道」とよばれた。また中継馬の基地であったため「中馬筋道」ともいわれた。江戸後期には大商人が出現し、1836年の加茂一揆の最初の攻撃目標にもされた。また「善光寺街道」ともよばれ、長野の善光寺参りに利用された。

 古い町並みは、巴川とその支流足助川とが合流するあたりから大きくうねって東へと足助川に沿って約2km延びている。上流に向かって左岸に西町、右岸に新町、本町、田町と続く。玄関口にあたる西町の街角に「左ぜんこうじ道」の道標が立っている。今回の巡検では、田町にあって足助町並み保存運動の記念碑的な建物である足助中馬館に立ち寄りたい。

 明治期に入っても活況を呈した足助は、中央線の開通(1911年)に伴う輸送手段の変化により中馬基地としての機能を失い、宿場的要素も薄らいで衰退化の道をたどった。高度経済成長期は、過疎化の進行と豊田の自動車関連産業の進展により、豊田市への労働力流出が顕著になった。1975年に「足助の町並みを守る会」が発足し、77年には第1回「全国町並みゼミ」を開催して、景観整備からまちおこしの大きなうねりが始まる。

足助から瀬戸海上の森

 往路を引き返し、猿投グリーンロードの八草インターを出て、国道155号線を北にバスを進める。愛知環状鉄道がこの国道の近くをほぼ併走している。この鉄道は、東海道本線岡崎駅と中央本線高蔵寺駅間45.3mを21駅で繋ぎ、西三河の中核都市岡崎市と尾張東部のベッドタウン春日井市とを結んでいる。沿線には豊田市や瀬戸市が連なり、中京圏の環状線の役割を担っている。工業団地・住宅団地の開発とともに大学の移転などが進み、地域変貌が激しい。1986年開業後、第3セクター鉄道としての営業はやや安定している。

 途中、新興住宅団地の丘から、海上の森とよばれる里山景観を眺望する。海上の森(瀬戸市海上町)は、瀬戸市街から東南約4km、名古屋市中心部から東方約20kmの位置にある。標高50~150mの丘陵で、猿投山地の西南麓に広がる。大都市近郊でこの森ほどよく残存している里山は稀である。このあたりが万博開催会場として予定されたことから、里山の開発利用か保全かをめぐって、1997年にわかに注目を集めた。この地区周辺は古くから窯業地帯となっていたが、その燃料の伐採や陶土の採掘により、江戸時代にはバッドランド(悪地形)化していた。しかし、海上の森は尾張藩が御林として手厚く保護し、飢餓にも備える森として守ったため、明治以降も県有地として残ったのである。由緒ある里山である。

 菱野団地の側を通り、まもなく瀬戸川沿いの中心市街にある瀬戸陶磁器センターに着く。ここで少し自由見学。近隣の瀬戸市新世紀工芸館の見学や、川沿いの瀬戸物問屋の町並みウォッチングもできるだろう。

珪砂陶土採掘場から帰路名古屋へ

 瀬戸物の町として名高い瀬戸市(人口13万人)は、陶磁器産業が1980年をピークとして、円高不況による輸出不振、中国や東南アジアなどの外国産地や国内産地との競争激化、生産体制の整備の遅れなどを主要因として、衰退の一途をたどっている。市街地北部周辺に集中する穴田などの工業団地では、家庭電化機器や音響機器、コンピュータ部品などを生産する大規模な電気機械工場が数多く立地し、産業構造が大きく変化している。

瀬戸陶土採掘場
▲瀬戸陶土採掘場

 瀬戸中心市街の北部の工業団地に狭まれた地域には、約50ha(名古屋ドーム15個分)の面積を有する全国最大規模の広大な珪砂採掘場がある。底に水をたたえた荒涼たる景観は、通称「瀬戸のグランドキャニオン」といわれている。愛知県珪砂鉱業協同組合(1998年現在、組合員65社)が7鉱山の事業を行っている。1999年の全国の珪砂需要の約58%が国内産であるが,その過半が瀬戸産である。10年前(1989年)と比較すると、輪入珪砂の比率が14ポイント増加し、瀬戸産のガラス用珪砂も総需要比が44%から30%へと大幅に減少した。さらに珪砂の需要量も、ガラスのリサイクルやペットボトルなどの容器の台頭の影響で大きく後退している。

 この後、工業団地地区を走って、瀬戸街道とも呼ばれる県道に出る。尾張旭市を通り名古屋に向かう。守山区の大森インターから東名阪自動車道に入り、来た道を戻って行く。名古屋高速道路を南進し、都心部の東部から南部を走って錦橋に出る。高さ245mのJRセントラルタワーを目前にする。1999年12月下旬に開業した超高層のツインタワーは、駅ビルとして世界一を誇っており、名古屋の新しいランドマークになっている。出発地の名古屋駅西口前で下車し、解散となる。

 ニューFHGになって3回目の愛知巡検となりますが、多くの皆様方のご参加をお待ちしております。

【原 眞一】


巡検報告

09:30 JR名古屋駅新幹線出ロメディアワン前集合。山田会長の挨拶と案内者・コースの紹介。
09:45 2台のバスに分乗して、出発。すぐに高速道路に入る。車中では秋山先生より名古屋城・県庁などをみながら中心部の説明あり。
09:58 東名阪自動車道路に入る。山田正浩先生から名東区の住宅開発の説明を開きながら猿投グリーソロードへとバスは進む。 車中では藤田先生から「ホラ」単位の開発など三河の丘陵の特性の説明を開く。また、近世に発達した足助の交通機能は矢作河水運と街道の接点として大きくなったが、明治40年に鉄道の中央線が開通してローカルな町へと変化していった様子を聞いた。
10:51 足助の駐車場に到着。河沿いに歩き、足助屋敷前で記念撮影。足助屋敷を自由に見学、11:50集合して総会・昼食会場の「一の谷」へ向かう。
13:14 「一の谷」を出発して、町福祉センター「百年草」へ向かう。百年草協会総務課長の安藤さんから説明を受けた後、ハム工房やベーカリーを見学。足助ハムZiZi工房の収入が一番大きいことを知る。14:00集合、バスで移動。
14:08 本田氏の足助陣屋跡着。陣屋跡は県事務所となっていた。ここから京町駐車場まで自由に散策。中馬館など見学しながら中馬の街道に沿って駐車場へ。
15:01 駐車場を後に、猿投グリーンロードへ戻り、海上の森へ。車中では米家先生から瀬戸の禿山の説明などを聞く。バスは八草からグリーンロードを離れて海上の森へ。
15:37 海上の森をみながら原先生に住宅開発、里山の自然環境、万博の説明を開く。
15:55 瀬戸に向けて出発。車中では高橋先生から鎌倉時代からの瀬戸の焼物の説明を開く。
16:05 瀬戸の市民会館駐車場に到着。現地の方の説明を聞き、瀬戸市新世紀工芸館を見学。
16:45 市民会館駐車場を出発。住居と工場が混在する狭い道をバスは進み、郊外の珪砂採掘場へ。
17:00 採掘場到着。原先生から破壊、埋め立て、移動の順に開発が進み景観が破壊されることなどの説明があった。しかしみごとな露天掘り。
17:11 名古屋駅に向けて出発。車中では藤田先生から江戸時代の庶民は木地師の作った木椀が主体であったが明治以降焼物の茶碗類が使われるようになったこと、山田正浩先生から輸出用陶磁器生産がさかんであったことなどの説明があった。
18:09 名古屋駅到着、解散。