トップページ > 巡検記録 > 国内巡検> 第2回巡検

第2回巡検

兵庫県西部と岡山県東部―山陽道の街と生業を見る―

【日 時】 1990年6月10日(日) 巡検ルート地図(別窓で開きます)


西播・東備への誘い

 第2回ニューFHGの巡検は、枚方市での総会で予告していました兵庫県西部(西播)から岡山県東部(東備)に出かけることに決めていました。その理由は、『近畿の野外巡検』におさめたFHGの足跡で判明するように、近畿で残された唯一の空白部が西播と東備にかけての地域であったからです。

 また、この地域については、前田、富岡…会員のほか、経験豊かな御当所の皆さんからお誘いもありました。それにもまして、6月という季節から、海岸美を瀬戸内に求め、山の緑を新旧の山陽道沿いに探究するのもよいことだと考えました。

 ついては、この地域の海側は、かつての塩業中心であり、城のある町赤穂を訪ね、ついで、東備の地に入り、「伝統産業」として、各地の「窯業」の地を見学するのも、歴史地理のフィールドとして好適かと考えたからです。

 かつて、この地域について筆者も「ろう石山の市場と窯業の立地」というテーマで、フィールドの成果を学会(大阪市大、1966)で発表したことがありました。今回の目的地の一つ「備前市」は、内陸部の三石と海岸部の片上が合併してできた市であります。両地区とも産業の大宋は「耐火レンガ」を核とする窯業であります。また、伊部地区では「備前焼」として、伝統的な方法で多種類の製品を焼いています。前者は原料立地型、後者は港湾立地型の工場で、いずれにしろ耐火レンガでは全国生産の1/3を占めている所です。鉄鋼業の好・不況に関係深い所が興味深いものであります。

 今回の巡検では、伊部地区から三石への道中で、旧藩校の「閑谷学校」にも立寄ることにしますが、その屋根瓦は備前焼となっています。

 帰途、西播の都市龍野に立ち寄り、醤油の町の有様も見学したいと思います。兵庫西部の中心都市「姫路」には到着が夕刻かと思われますが、時間の余裕をみて雄藩の遺構を、一部でも探索されることをお勧めします。


巡検報告

09:35 姫路駅南口にて樋口先生から挨拶と姫路市の概要について説明の後、バスに乗車。前日の雨天とうって代わり、梅雨の晴れ間の穏やかな天気に恵まれる。
10:00 JR姫路駅南口出発。2号車では樋口、服部、近藤、1号車では浮田、小林、山田の各先生から法隆寺の荘園太子町、造船の町相生の現状、テクノポリス計画などについて説明を受ける。IHIの工場縮小で人口滅の相生市を通過し、千種川河口のデルタに開けた赤穂へ向かう。
10:50
赤穂城跡
▲赤穂城跡
赤穂城跡に到着。赤穂市立歴史博物館で、赤穂塩業や赤穂城下町に関する展示を見学後、徒歩で大石良雄宅跡等の残る城内を見学。近藤先生から城下町は城内まで上水道を通していたが、水もれを防ぐために、素焼の水道管の回りを漆喰で固めており、当時としては高水圧で水量のある水を送っていたとの説明あり。
11:30 赤穂城跡発。塩田跡地の中を通過して、日生に向かう。赤穂市福浦地区は、岡山県福河村が分離して赤穂市に合併したところで、県境と国境が一致していない。
11:54 日生町着、国民宿舎「ひなせ」で海の幸の昼食。食後は三々五々近くの魚市場をのぞく。
13:04 日生発。かつての美作国の国津であった片上を経て備前市伊部へ向かう。車中では高橋先生から伊部の窯業の発生について、浅香先生から長島愛生園についての説明を受ける。
13:23
備州窯
▲備州窯
人間国宝山本宗円の備前窯着。服部先生から備前焼きの歴史と現状についての説明の後、各自伊部の窯元を見学。江戸時代備前焼きは販路拡大のためにPRを行っていたとのこと。当時の宣伝文句「備前とくりは酒がうまい」「備前すりばち投げても割れぬ」など。
14:00 備前窯発。
14:20 九十九折の山道に謡られて、閑谷学校着。寛文10年池田光政が建てた藩校で、屋根瓦には備前焼きを用い、石垣の積み方は中国的。静かな山間に建っ建築群の堂々とした風格と独特の右塀に感動。講堂前で、全員揃って記念撮影。
15:50 竜野着。閉館ぎりぎりに醤油記念館にはいる。その後は、竜野城、歴史文化資料館や古い竜野の町並みを各自自由に見学。
17:00 竜野発。
17:22 姫路駅南口着、解散。好天に恵まれ、時間的にもスムーズに無事終了。